HISTORY

乱歩の小説にも登場した、
鶯谷倶楽部

——乱歩も、ここに来ていたのでしょうか

江戸川乱歩(1894–1965)
江戸川乱歩(1894–1965)

まずは、江戸川乱歩の小説から
一節を引かせてください。

【十月十五日】
昼間、安全な機会があったので
Mと鶯谷の「常盤ときわ旅館」で逢った。
Mが夢中になってきたのが、よくわかる。
——江戸川乱歩『化人幻戯』(角川ホラー文庫、154頁)
『化人幻戯』の一場面より(イメージ)
『化人幻戯』の一場面より(イメージ)

「常盤旅館」は、実在した

人目を忍ぶ逢瀬の宿として、さりげなく書きつけられた「鶯谷の『常盤旅館』」。同じ読みの名を持つ宿が、当時この鶯谷に実在しました。いまの鶯谷倶楽部——当時のきわ旅館」です。

当館は1952年(昭和27年)、この根岸の地に「常きわ旅館」として開業しました。『化人幻戯』の連載が始まる、2年前のことです。小説では「常盤旅館」、当館は「常きわ旅館」。表記は違いますが、読みはどちらも「ときわ」。そして当時の鶯谷で「ときわ」の名を掲げていた宿は、当館のほかにありません

乱歩が書きとめた「鶯谷の常盤旅館」は、この宿のことでしょう。乱歩自身がここを訪れたのかどうかまでは、いまとなっては確かめるすべがありません。けれど、あの一節に灯っていた明かりは、確かにこの場所のものでした。

鶯谷倶楽部のあゆみ

名前を変えながら70年あまり。この場所で、灯りをともし続けてきました。

  1. 1952年(昭和27年)

    「常きわ旅館」として開業

  2. 1954–55年

    江戸川乱歩『化人幻戯』発表。
    作中に「鶯谷の常盤旅館」が登場

  3. 1965年(昭和40年)

    「旅荘ときわ」に改称

  4. 1984年(昭和59年)

    「ホテルバレンタイン」に改称

  5. 2014年(平成26年)

    「鶯谷倶楽部」に改称

  6. 2021年(令和3年)

    鶯谷倶楽部 新館オープン

昭和の東京、街をゆく人々
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小説『化人幻戯』について

江戸川乱歩の長編探偵小説『化人幻戯(けにんげんぎ)』は、1954年(昭和29年)11月に『別冊宝石』へ冒頭が掲載されたのち、1955年(昭和30年)1月号から10月号まで、探偵小説誌『宝石』に連載されました。名探偵・明智小五郎が活躍する、戦後の乱歩を代表する一作です

1956年には、第9回日本探偵作家クラブ賞の候補にも挙げられました。物語はある人物の日記を軸に進んでいきます。冒頭に引いた【十月十五日】の一節も、その日記の一節です。

江戸川乱歩という作家

筆名は、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーの名をもじったもの。本名は平井太郎、1894年(明治27年)三重県の生まれです。1923年に「二銭銅貨」でデビューし、日本の探偵小説・ミステリの礎を築きました。「怪人二十面相」「少年探偵団」シリーズや『人間椅子』『陰獣』など、いまも読み継がれる作品を数多く残し、1965年(昭和40年)に世を去っています。

1934年からは池袋に居を構え、書庫として使われた土蔵は「幻影城」と呼ばれて現存し、立教大学によって保存・公開されています。池袋は、鶯谷から山手線でわずか数駅の距離です。日本推理作家協会の前身・探偵作家クラブの初代会長を務め、新人賞「江戸川乱歩賞」にその名を残しています。

乱歩の影響は、いまも身近なところで見つかります。人気漫画『名探偵コナン』の主人公が名乗る偽名「江戸川コナン」は、乱歩と海外の作家コナン・ドイルの名を組み合わせたもの。乱歩作品は現在も映画やドラマ、舞台にくり返し翻案され、書店の文庫棚には必ずといっていいほど並んでいます。

江戸川乱歩(1894–1965)

鶯谷を歩いた、江戸川乱歩

乱歩がこの界隈を書いたのは、『化人幻戯』が最初ではありません。1928年の『陰獣』では、語り手が根岸の御行の松のほとりに古い家を借ります。翌年から連載の『孤島の鬼』には、省線鶯谷駅近くの空地にかかったテント張りの曲馬団が登場し、1933年の『妖虫』では、犯人を追う青年が金杉の大通りをたどります。鶯谷の曲馬団と、金杉の見世物小屋。同じ土地の同じ手触りを二度書いた筆致からは、乱歩がこの一帯に土地勘を持っていたことがうかがえます。

昭和の乱歩が歩いた鶯谷の路地に、常きわ旅館はありました。
「旅荘ときわ」「ホテルバレンタイン」「鶯谷倶楽部」と名前を変えながら70年あまり、同じ場所で灯りをともし続けています
誰にも気兼ねなく、ひと息つける場所であること。
それだけは、あの頃から変わらずに受け継いでいます。

※小説中の表記は「常盤旅館」、当館の旧称は「常きわ旅館」です。表記は異なりますが、読みはどちらも「ときわ」。引用は『化人幻戯』(角川ホラー文庫)、『陰獣』『孤島の鬼』『妖虫』は青空文庫版によります。

昭和の東京の街並み
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